「週刊文春」平成3年4月11日号 1991

前へ


 「週刊文春」の平成3年4月号の巻末に近いところに掲載された記事である。「仕事場探検隊」というタイトルの連載記事で1991年当時、一線で活躍していた著名人の仕事場を取材するシリーズの72本目である。この当時の久石譲の作業スペースはワンダーステーション六本木。1985年に六本木にオープンした、久石譲のプライベートスタジオである。また商業スタジオとして、他のアーティストやプロジェクトのレコーディングにも使われていた。

 その10年後の1995年、代々木に「ワンダーステーション 代々木」をスタート。しばらく六本木と代々木の二つのスタジオを運営していたが、2000年に六本木の再開発に伴い閉鎖され、代々木スタジオに統合された。この六本木の再開発というのは、テレ朝近辺を六本木ヒルズに変貌させた開発である。ちょうど現在の六本木ヒルズエリアに入っていて、周辺の物件と同様、移転を余儀なくされたのであろう。

 その後、2007年4月にメモリーテック株式会社にスタジオ部門を譲り、さらに2012年6月、ワンダーステーション代々木スタジオは閉鎖された。その後は同じく閉鎖された「一口坂スタジオ」の機材を移してポニーキャニオンスタジオ代々木になり、レスパスビジョン株式会社も入って、映像系のスタジオとしても利用されているようだ。


 ちなみに、当時の六本木ワンダーステーションは駐車場がなく、4,5人のミュージシャンが入ればいっぱいになるような、小さめなスタジオだった・・・・という記事を見つけた。久石譲のほぼすべての作品を生み出したであろう、今はなき、六本木のスタジオである。


この記事に写っている機材はおそらく・・・・

・コンソール=調整卓 SSL4048
・アナログMTR STUDER A80
・デジタルMTR 

・キーボード AKAI MX76
・おそらく、フェアライトのディスプレイ

などなど。


こちらのページが実際にスタジオをレポートしており、とても貴重なページ!
この記事を書いた当時は1988年。

舞香のMixing Room スタジオ見聞録


Wonder01

舞香のMixing Room スタジオ見聞録』のトップ画像 1988年のワンダーステーション入り口



こちらのレポートも貴重です。
作曲家 吉川洋一郎氏のブログ



[1991-J41-KGK1-N16]


aja-studio 2018